ごあいさつ

牧師挨拶    「かけはし」となることを願って

こんにちは。横山 誠と申します。

当教会のホームページをご覧下さりありがとうございます。

現代は情報化社会です。私たちの周りにも実に多くの情報が溢れています。
でも本当に必要な情報とはごくわずかなものかもしれません。
とりわけ自分の人生をより豊かなものにし、価値あるものとする情報はそうです。

私は「聖書」と出会い、多くの事を学びました。聖書は世界のベストセラーであり、神の言葉です。
それゆえ私たち人間に、勇気と希望と慰めを与え、本当に価値あるもの、本当に価値ある事を教えてくれるのです。

ですから私は、皆さんにも聖書と親しんでいただきたいと、そう願っております。
あなたも聖書を手に取ってみませんか。

戸田福音自由教会があなたと聖書との懸け橋となることが出来たら幸いです。

戸田福音自由教会 牧師 横山 誠

私が教会に来たキッカケ

T.W.さん(50代 男性)

「あなたは神を信じますか?」

日本人は八百万の神を信じているということを耳にします。だからこそ、神社仏閣に拘わらずたくさんの人が訪れるのだと思います。それでは、唯一の神はいるのか、また、それを信じる人はいるのでしょうか。かつての私は、どちらでもなく、そもそも神さまを信じるということは全く想像できませんでした。それが今では、信仰をもち、毎日曜日は教会に通い礼拝に出席しています。
なぜ、このような変化が起こったのでしょうか。お話したいと思います。
 私がまだ学生のころ、ある出来事がきっかけで知り合った人がいました。あるとき、その人の家に誘われて行ったところ、某宗教の集会が行われていました。何時間も付き合わされ、入会しなければ解放しないくらい執拗に誘われ続け、心身ともに参りました。何とかその場は切り抜けられたものの、宗教とはなんて恐ろしいものなのだろう。二度と関わりたくないという印象だけが残りました。しかし反対に、果たしてすべての宗教が信仰を持たない人にとって恐ろしい存在なのだろうかという思いを持ちつつ日々を過ごしていました。そしてある日のこと、書店で偶然に三浦綾子さんの著書『新約聖書入門』が目にとまりました。また、趣味の音楽鑑賞を通して、アメリカのクリスチャン・メタル・バンド『STRYPER』を知り、私の推しバンドになりました。バンドのロゴには、『ISAIAH 53:5』の文字も書かれていて、これが何を意味するのか気になって調べてみると、【イザヤ書 53章5節~『しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎(とが)のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼への打ち傷によって、私たちはいやされた。(聖書新改訳3版)』】という聖書の句でしたが、聖書を読んだことがない私には全く意味が分かりません。これらの出来事があって、聖書には何が書かれているのか、そして『ISAIAH 53:5』の意味を知るためにも教会に行きたいと思うようになりました。それからは、戸田市内で教会を探し、勇気を振り絞ってこの戸田福音自由教会を訪れ、通うようになり、洗礼を受けて今では唯一の神を信じています。

忙しい毎日に疲れた方、ぜひ教会にお越しください。かつて教会に行ったことがある方、聖書を読んだ経験がある方、また、クリスチャンであっても教会を離れている方、さらには、何となくキリスト教に興味がある方もいるのではないかと思います。日曜日のひととき、心を落ち着かせて礼拝に出席して共に祈りませんか。皆様のお越しを心から歓迎いたします。

・マタイの福音書11章28節~『すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます。(聖書新改訳2017)』

・マタイの福音書7章7節~『求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば見つかります。(聖書新改訳2017)』

K.N.さん(50代 女性)

今から四半世紀も前のことになります。次女が小学1年生の時、私はPTA学年委員長を務めました。その時、副委員長を受けてくださった方がクリスチャンでした。その方とはとても親しくなり、お互いの家を訪ねたり、家庭内のことも包み隠さず、お話しできるような関係になりました。教会にもお誘いを受け、礼拝に参加したこともありました。それから1年半後、我が家は夫の転勤に伴いシンガポールへ向かうことになりました。シンガポールにも日本語教会(シンガポールJCFN)があり、私はそこに出席し、やがて洗礼を受けました。初めて教会に行ってから実に8年が経過していました。
私の母はある新興宗教に入信し、幼い私たちたちをよくその集まりに連れて行きました。よくわからない教えを受けながら、そこにいたことを覚えています。今思うと暗闇の中にいたように思います。しかし、その暗闇を知っていたからこそ光であるイエス様に出会ったときのあの感動、「救い出され、見つけ出された」と言う思いは忘れることができません。
私が教会に行くようになったきっかけは、ひとりの友人との出会い、幼い頃から連れて行かれた新興宗教でした。今思うと、一つ一つの事が無駄でなかったと思います。
旧約聖書エレミヤ1章5節に「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」とありますが、私たちひとり一人もまた、神様のご計画によって生かされていることを感謝します。私には私の、皆さんには皆さんの神様との出会いが用意されているはずです。

  「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」伝道者の書3章11節

S.T.さん(80代 女性)

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